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教え子たちの旅 −上−                  熊日夕刊2005年10月12日

フリースさん眠る豪州

 感謝の気持ち伝えたくて・・・64年後の訪問・・・

 

 春を迎えたオーストラリア西部の小さな町ギルドフォード。

そこに戦前、阿蘇で幼児教育に尽くした英国人宣教師、フローレンス・名・フリースさんが眠っている。夕日に染まったギルドフォードの町並みをながめ、「阿蘇に似たところ。フリースさんはこんなきれいな町で暮らされたんですね」。阿蘇郡小国町の有住施津代さん(74)はつぶやいた。フリースさんの保育園の教え子だった有住さん。クリスマスか卒園記念にもらったイギリス人形を今も大事にしている。「真っ白い服と某氏に赤い顔の人形です。フリースさんに感謝の気持ちを持ってきました」。

 熊本を離れたフリースさんは一九四一(昭和十六)年、西オーストラリアの州都パースにあるギルドフォードに着いた。当時、高校の校長だったロバート・イブリン・フリースさんを頼ったのだった。

「自宅は小さな家でしたが、熊本のころの友人でハンセン病患者を救済されたエダ・ライトさんと仲良く暮らしたようです」とイブリン・フリースさんの孫でパース在住のロバート・フリースさん(五三)。自宅があった住所は、スワンストリート一八〇番地。川の傍の閑静な住宅地の一角にあり、現在は、新たな所有者によって立て替えられていた。

 「ミス・フリースのきれいな家がようやく出来上がりました。先月(九月)の二十五日に引っ越しました。どこにでも花が咲いています」。ライトさんが同年、熊本の知人へ宛てた手紙だ。フリースさんらが引っ越した日から六十四年後の同じ日、熊本の教え子たち十人は、同じように春の花が咲き誇るパースの地を踏んでいた。◇ ◇

 フリースさんの教え子と熊本日豪協会のメンバーは、九月二十四日からフリ−スさんが晩年を過ごしたオーストラリアを訪問、墓参などして恩師を偲んだ。

(吉村隆之)

 

 (写真):フリースさんの墓(手前中央)に花を手向けた教え子たち=オーストラリアのギルドフォード

 


教え子たちの旅 −中−                  熊日夕刊2005年10月13日

フリースさん眠る豪州

 あふれる涙と往時の思い出・・・恩師と”対面”・・・

  ギルドフォード郊外。木立に囲まれ、ひっそりとたたずむ墓地。その中に「フローレンス・メイ・フリース」の名があった。七十ー八十代になった熊本の教え子たちがオーストラリアを訪ねた目的は、墓に眠るフリースさんと”対面”することだった。

 「CMS(英国聖公会伝道協会)JAPAN」と刻まれた墓碑に花を手向ける教え子たち。「感無量です。お墓でお別れを言いたかった」と大久保吉武さん(七六)=阿蘇郡小国町。北里正剛さん(七五)=玉名市=は「幼い日の思い出がよみがえってきます」と感慨にふけていた。手わ合わせ、墓石に触れ、目頭を押さえる女性もいた。

 墓参にはフリースさんの弟孫、ロバート・フリースさん(五三)も参列。熊本日豪協会メンバーで訪問団の目黒純一団長が「先生は福祉活動に尽力されました。今後も、オーストラリアとの友好を育みたい」とロバートさんへあいさつした。

 フリースさんがギルドフォードで暮らしたのは約五年。ロバートさんによると、フリースさんは自宅近くのセント・マシュー教会に通った。そこで阿蘇にいたころと同じように、子どもたちのために日曜学校を開き、聖書を読んだり、賛美歌を歌ったりしたらしい。「熊本の知人たちのことが気がかりだったようです。フリースさんは日本の伝統文化のことをよく口にしていたと伝え聞いています」とロバートさん。

 同教会は、墓地から車で約十分の距離にあった。がっしりした茶色いレンガ造り。周囲は公園のように噴水があり、芝生が広がっていた。「教会でも、子どもたちに話すのがとっても好きだったようです」。ロバートさんの説明を受けながら、教会の前で記念写真に収まる教え子たちは、それぞれに穏やかな表情だった。

(吉村隆之)

 

 (写真):フリースさんが通った教会を訪ねた熊本からの訪問団

     =オーストラリア・ギルドフォード=

 


教え子たちの旅 −下−                  熊日夕刊2005年10月14日

フリースさん眠る豪州

 親族の夫妻、来月熊本へ・・・広がる交流・・・

  「日本から訪問団がやってくる。日本にいた宣教師メイ・フリースさんに敬意を表して墓参りするためだ。フリースさんについての情報を求めている」九月上旬、ギルドフォードの新聞「エコー」に載った記事だ。着物姿のフリースさんの写真も大きく掲載された。新聞で呼びかけたのは、メイ・フリースさんの弟孫ロバート・フリースさん(五三)と妻スーさん(五二)。読者からの情報はそれほどないが、パースに住む熊本の出身者から訪問団に会いたいと連絡があり、うれしかった」とスーさん。

 夫婦は英国の大学などでメイ・フリースさんの活動記録を調べ、冊子にまとめた。主な経歴のほか、阿蘇の保育園やギルドフォードの自宅を写した写真で構成。オーストラリアを訪れた教え子全員にプレゼントした。「懐かしい記憶がよみがえりました。今回の訪問で何よりのお土産です」。菊池郡大津町の荒木伸子さん(七四)ら教え子に笑顔が広がった。

 今回の訪問は、熊本日豪協会(会長谷脇源資)が西オーストラリア豪日協会などと連絡をとり実現し、準備を進めてきた。「ロバート・フリースさんの父は元オーストラリア駐日大使。英国ファイナンシャル・タイムズ元日本支社長の祖父もフリースさんの弟だった。フリースさんの親族は日本とは縁が深い」と冨田巖事務局長。訪問団は豪日協会のメンバーと交流会を開き、歓迎を受けた。谷脇会長は「心のこもったもてなしがうれしかった。オーストラリアとの交流を進めたい」と言葉を弾ませた。

 ロバートさん夫婦は十一月上旬、熊本を訪ねる予定だ。教え子たちは阿蘇市や小国町など、フリースさんが幼児教育に奔走した思い出の場所を案内することにしている。

(吉村隆之)

 

 (写真):豪日協会のメンバーと交流する熊本日豪協会の人たち

     =オーストラリア・ギルドフォード=