○ 時代背景
天正15年7月末の隈部親永と佐々成政の検地方法をめぐる 国衆一揆 による戦で、菊池隈府にある守山城(城主隈部)周辺で、親永を山鹿の城村城(城主隈部親安=親永の長男)の元へ脱出させるために、 7月28日、冨田安芸守家治(一の家老=親永の従兄弟)、長男朝家の軍が敵陣へ斬り込んで戦死。
隈部親永軍は大敗した。
身の危険を悟った安芸守奥方は身辺警護の中、西方の地域、山本郡の人里離れた竹林山地奥(現山鹿市姫井)に身を潜めて暮らし始める。
家老の奥方の身分にて側近部下、行商人(開墾・情報収集活動)により警護される。
○ 隠れ家に最適な環境
旧山本郡は鹿央町広を通る筑後への幹線道、「豊前街道」沿い。
姫井の本村集落は情報流出の危険な場所。そこで、街道近くの集落からさらに、離れた山奥に隠れ家を構えた。生活のために側近たちは、食料自給自足に取り組み山を開墾した。完全に周りを竹山のカーテンで覆い隠した地形。
開発されない地域のため現在もその地形を見ることができる。
安芸守10歳の末っ子が隈本城から解放され四方寄で行商人と出会い母の住む山本(旧山本郡)へ連れて行った。現在の姫井も山本地域。
○ 現在の末裔は語る
2014(平成26)年2月14日 当該地:山鹿市鹿央町姫井にて末裔冨田夫妻を訪問。
天正時代までの系図は符合。曾祖父は系図に強い関心を示していた。
古い系図あり。刀、鉄砲が沢山あった。裏山に古い墓所があった。お寺の納骨堂へ移すため石塔は倒した。しかし、二基は現存、江戸時代と昭和半ばの墓石である。
頂上近くに、奥方の埋葬地に大樹 「姫井の槙」鹿央町教育委員会標柱がある。壺があり、お金が入っていた。広の明蓮寺に預けた。
○この辺地に先祖が定住した由縁について
冨田安芸守家治の奥方の末裔であるとは知らなかった。
細川氏より、先祖は「山を守るため」この地に送り込まれたと聞いていた。
この周辺の山を広く所有している。
昭和50年ごろ、付け火火災にあった。現家屋はその後建て替えたもの。
一揆直後退避のため武器鉄砲・刀もあった。「山を守るため」説は末っ子棒千代(春千代)が細川藩の大儀を
得たことによる。
現在、立派な冨田家墓を姫井(本村)に建立したので、ご先祖に喜んでいただいていると思う。(写真上:2012年8月建立)
○ 歴史ロマンあふれる出会い
今は、全くの赤の他人だけど、1587年までは、一族ではなく、夫婦であったことの不思議な出会い。苗字・家紋・退避処(参照 「悠久の郷土史ロマン」 P99)・古墓の有無のすべてが符号した。偶然にも両墓は一揆後425年歴た末裔によって建立された不思議さ。人と人とのロマンが漂う今日。
「何度見ても立派なお墓です、こんなのは見たことがないですね。
それにしても 400数十年を経てお墓が建立されたのが、
上永野冨田家 2012年3月・
姫井冨田家 2012年8月
同じ年、こんな偶然はめったにないこと です」と、関東在住隈部氏末裔より