天正15年7月26日の夜、和議のために人質として、冨田安芸守の10歳の子、摏千代(しょうちよ)は、敵方の肥後国主佐々成政の隈本城に赴いた。
しかし、成政は一向に和議を結ぶ意向など到底示さなかった。
それは、今度の新しい検地は、国主となった佐々成政の死活の問題として、窮地に置かれていたからだった。何としてでも、検地をやり直し、部下たちを養うだけの石高を確保しなければならない運命に置かれていたからだった。
隈府の守山城を落とし、戦勝したものの、米の収穫期を目前にして決着をつけなければならなかった。秀吉から、石高を与えられることなく、肥後国主に突然、薩摩征伐の帰路の途中、申し渡されただけであった。
一方、隈部親永は、秀吉が薩摩征伐に赴く途中、6月2日に領地を安堵する朱印状を拝領したばかりだった。この二人を取り巻く秀吉の命令の出し方に翻弄されたことが、この国衆一揆の発端となった。だから、双方の折り合いをつけることができなくなり、力づくの合戦となった。
人質の摏千代は、数日間、隈本城で佐々成政の下で過ごした。守山城が落ち、親永が大敗し、人質の必要が無くなり、解放された。
「摏千代殿、戦も決着がついたから、そこもとの人質の必要もなくなったから、この城から出て行って良いぞ。ただ、そちの守山城には、誰もいないから、帰る当てはないぞ」
と成政の兵が伝えて、隈本城から解放した。
そう言われて、解放され自由の身となったものの、戦場となった守山城をめざすこともなく、ただ、呆然として、隈本城より、北の方向へ自然に足が進み出した。
当時、隈本城は現熊本城の場所より、少し南西にあった。現熊本城は茶臼山を中心に加藤清正が肥後国主になってすぐ4年の年月をかけて築城した城である。
現在の熊本城の城つくりを考え出したのは、清正が秀吉から肥後国主の拝命を受けて、着任して、早々、肥後国衆一揆の戦場となった、肥北を視察した折、名武将を育んだ菊池氏の守山城、それに山城の要塞と言われた、隈部親永の猿返し城、米石城を丹念に視察した。その後、清正の山城つくりの図面構図ができたとも言う。
それに基づいて、茶臼山に現在の熊本城をつくった。
摏千代は、城を出ると、茶臼山を通り、北へ向かった。隈府の守山城へ帰っても誰もいなければどうしょうもない不安があった。
しかし、とにかく、親が住んでいた北の方角を目指して歩み続けた。10歳の年少者のため、隈本の外れにある大窪の竹山に囲まれたわき水の水くみ場で、渇いた咽を潤すために休息し水を飲んでいた。すると、そこを大窪の百姓のような夫婦が、摏千代のそばを通り過ぎた。
「今の男の子、どこかで見たことがある顔ばしとんなあ。どこのせがれだかなあ。もう一度、顔ば見てみるこったい」
「ええ、そぎんな。そぎんなら、もう一回見て見らにゃんたい」
「うう、そんぎゃんするばい」
と男は妻に言って、また、水くみ場を横目を使いながらゆっくり歩き確かめるために引き返した。
三軒ほどの距離を通った時、
「やっぱり、そうだ。この顔は間違いなく安芸守の摏千代君だ」と見覚えのある顔を確かめた。
男は、自信ありげに、
「もしや、貴男様は、冨田安芸守のご子息、摏千代君ではなかろうかとお尋ね申します。もしや、お人違いかも分からんけん。失礼申し上げました」
とためらうことなく尋ねた。
すると、摏千代は、突然の見知らぬ者から、尋ねられたので、驚いた。
「はい、いかにも、さような者ですが、何か」
「やはり、そうぎゃんでしたか。若君の御前を妻と通り過ぎた時、この辺の男の子とは、姿格好がちごうとりましたけん、チラッとみましたら、どうも、若君に大変にとったけん、もう一度、確かめたく思うたけん、来たところじゃった、尋ねてみて良かったばい」
と嬉しそうに話した。
「私は、この近くの四方寄の角小屋の雇われ人で、よくお城に品物を届けにいっとりましたけん。若君のお顔は小さき頃から、よく存じてましたもんだけん。
そのお陰で、やっぱり、すぐ気付きましたばい。良かったなあ、ほんとうに」
「私の家は、この近くですけん。そこで、ご飯でも差し上げますから、召し上がってくだはりまっせ」
と言って、近くの源太の家へ案内した。
源太の妻が炊事場で賓客の突然の来訪とあって、料理に取りかかった。
久しぶりに、母親の味がするような美味しいご飯と味噌汁をお腹いっぱいになるまで召し上がった。
「この度の戦は、本当にむごか結果となってしまい、こぎゃんむごか戦に終わるとは誰もわからんだったけんなあ。隈部の殿様は、城村城の親安様のところへお入りになったし、安芸守は隈府で討ち死になさったし、奥方様は、鎮房様のお計らいで姫井の安全な処に住まいをお世話戴いたし、皆、それぞれバラバラになってしもうて残念に思うとるたいなあ」
「父上は、亡くなられたのですか」
と驚きの表情で摏千代は源太に問い直した。
「私の聞いたことによると、見方の裏切りで亡くなられたごたるとのこっですたい」
「そうですか、兄上はどうでしたか」
「飛騨守家朝様も同じところで、命を落とされたようすですたいなあ」
「兄上もですか、もうお会いできないなんて。母上はどうなったのですか」
「奥方様は、無事だったばいた」
「じゃ、今母上はどこにいますか」
と心配していた気持ちが思わずこみ上げてきた。
「ここから少し離れた、山本郡姫井に隠れ家に住んどられますばい。私もどのあたりか、よう知とるけん、若君を母君の下へお連れいたそうかと思とるけんな」
「ああ、そうですか、ご存じなのですか。早く、母上に会いたいです」
と摏千代は源太に力強く元気なこえで頼んだ。
食事をご馳走になって、着物を着付け直し、旅支度に取りかかった。
摏千代の心は、あのやさしい母親への気持ちでいっぱいだった。
真新しい草鞋に履き替えて、出立の用意をした。
「いろいろとご馳走様でした。それでは、よろしくご案内をお願い申し上げます」
と若君、摏千代は、源太に言った。
「それじゃ、私が、これから、若君を母親の奥方様のいらっしやる処へご案内させてもらいますばいた。さあ、よかですか」
と言って、二人は、大窪の源太の家を源太の妻に見送られながら発った。
摏千代は、母親はどんなところにお住みなのか、いろいろと自分なりの幼心ながら、思い描いていた。まだ、一度もみたことのない地で、どうしているのか、どんな景色なのか、思い描くことが多かった。
大窪を出て、四方寄を通り、源太が手伝っている商いの店、角小屋の前を通った。源太から、ここが自分たちが仕事を手伝っているお店ですと案内した。
植木あたりで、休息をとり、いよいよ山本の姫井へ向けての最後の道のりを歩んだ。周りの景色は、今まで住んでいた、上永野や隈府守山城とは、大きく違っていた。すべてがめずらしく目に移り変わる景色だった。
「この道が、豊前街道ですばい。この道は、薩摩から、筑後、方面へ通じている道ですばい。隈府と隈本への道とは違うけんなあ」
と街道に沿った地名を出しながら歩んだ。
霜野城のそばも通り抜けた。
「ここには、霜野城があって、殿様は、内空閑鎮房様ですばい。守山城の隈部親永殿のご子息が婿養子に入っとなるはるとたい。この城にも、私は角小屋の店の品物ば届けによう来るとたいなあ」
「奥方様のいらっしゃる処にも、塩、みそ、油、魚を時々、届けに参りよったけん。よう知とんなはるたいなあ」
と話を細切れに語りかけながら歩き続けた。
「この辺から、そろそろ近くになっとたい。こっちから、東の方向が広ち言うところで、こちから西の方が、姫井というとろたいなあ。もうちょっと行ったところが北谷・霜野だけん、そこば過ぎたら、右に入ると姫井たいなあ」
と道案内を続けた。
摏千代は、足の疲れも忘れて今すぐにでも、母に会えるよな気がして、源太の話を聞きながら、黙々と歩き続けた。
竹山に覆われた集落姫井の村があった。しかし、源太は、その集落のどの家であるかは教えるこなく、どんどん竹山の中を奥へ奥へと進んでいった。
すると、竹山の一角に小さな家が見えた。
この家こそ、奥方、摏千代の母が追っ手から逃れるための安全な隠れ家だった。
空へ向かって真っ直ぐに伸びきっている孟宗竹の間隙を通り抜けて、ようやく、この地にたどり着く。この地形だと、地元の百姓以外に人の住む家があるなど、全く想像できない地形だった。
さすがに、霜野城主内空閑鎮房の戦国武将の知る地を提供した隠れ処だった。一方向から敵に攻められても、反対方向の竹山に逃げることができるような地形だった。
静かな竹林に囲まれた中に家があり、数人の家来たちが、この地で生きていくための環境つくりに取りかかっている姿があった。
摏千代にとっても、この風景は想像を超えた不便さを感じた。母上はこんな処で暮らしているのだったのか、夢の中での光景に過ぎなく思えた。
ここまで来たのだから、間もなく、母親に会えるのかと鼓動が大きく鳴った。
源太が、竹を片付けている作業人に声をかけた。
「今日は、よか日よりなあ。奥方様はおんなはりますか」
「はい、家の中ですばい」
源太は、摏千代の手を引いて、家に近づいた。
すると、家の中にいた奥方が、来客の源太の声を聞いて、表に現れた。
そのとたん、奥方は、母親の感で、すぐ摏千代に気づき、飛び出した。
「やぁ、摏千代、元気でよかった。お帰りなさい」
と、強く抱き合った。
「母上、会いたかったです」
「よう、ここまで生きて帰って来てありがとう」
「守山城から別れて10日ほどしか経っていないけど、ずいぶん長かったよ」
「10日前は、何も分からずに、父上の命にしたがい、この私に役立つことができればと思い、死を覚悟して成政様のもとへ参りました。でも、その役を果たすことが出来ずにご免なさい。母上」
と母の胸にすがりながら泣きじゃくった摏千代だった。
「父上と兄の家朝は、戦で亡くなってしもうたから、さびしゅうなってしまうたからね。でも、こうやって摏千代が母のもとへ無事戻ってきてくれたので、とても嬉しい。ありがとう。摏千代。今からは、ずぅっと、母の下で一緒に暮らしていこうね」
と母親も、摏千代の背中を優しくさすりながら、涙が滝のように流れて止まなかった。(おわり)